人の手を介した決済方法がなくなっていく

手形交換所が143年の歴史を経てなくなったようです。
(参考:大和総研「手形交換所で交換した手形以外のもの」)

人の手を介した決済方法から電子決済にかわっていることから,電子交換所にかわっていきます。
(参考:三菱UFJ銀行手形・小切手の交換方法を電子化する「電子交換所」設立に伴うお手続きについて】)

人の手を介した決済は,143年どころではなく,古くは江戸時代よりもっと前,人が文字を獲得してからすぐであるという学説もあるようです。

人の手から電子へ重要な転換点であるかもしれません。

山の日

今日、初の山の日となりました。
国民の祝日に関する法律に
その制定の目的に

山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。

とあります。

長野県は山の国というべき
山岳信仰が各地域に存在します。

校歌などには、山の名前がほとんど入っていますね。

山岳信仰といっても、
山には対しては、自然への恐れがあります。

山からの恩恵こそあるにしても、
親しみとは裏腹に
自然の厳しさを教えてくれるも、山の特徴です。

農業社会から職業の転換

人はどのようにして生業を見つけていたか
というはなしをします。

日本の明治から昭和にかけて、資本主義がおとずれと同時に
農村部に、私有財産制の導入と税負担増加(地租改正)などによって
自作農をしていた農民たちが小作農へ変化していったようです。

小作農の増加と並行して、小作争議が増加していきました。
争議の増加から推察すると、決して多くの農民が豊かな生活をしていたわけでない
ということがわかります。

昭和初期では工業化や小作農民の経済的困窮から、農民から
建設業やサービス業に労働者が多数流れていっているようです。
(出典 農林水産省 産業別労働力の動向 清水良平氏
http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/nosoken/nogyosogokenkyu/pdf/nriae1966-20-2-4.pdf)

それにしても、いままで農業をしていたひとたちが
どのように、職場を探していたのでしょうか。

戦中には、国家総動員体制下の職業紹介法によって「職業安定所」
今のハローワークが作られています。
現在も職業安定法によって引き継がれているわけですが、
旧職業安定法では
「何人モ, 有料デ又ハ営利ヲ目的トシテ
職業紹介事業ヲ行テハナラナイ」
とされていました。
戦中戦後は、職業安定所が職業紹介事業にを一手に行っていた
ということがわかります。

戦後は、労働者の生活の安定ということも
政府が一手に行う目的でもあったわけです。

現在の職業紹介事業は許可制となっています。
(職業安定法31条、33条など)

戦中より前は、いわゆる紹介者が行っていました。
その紹介というのはどうやら、ヤクザの商売だったようです。
(出典 なぜ職業紹介を国が行うのか 神林 龍教授
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2009/04/pdf/066-069.pdf)

農村で賭場を開いていたヤクザが職業紹介事業に進出したようです。
職業や人を紹介するという役割が、その人達の社会的な役割に
合致していたのか、そもそも政府や産業界がそれを利用したのかは
定かではありませんが。。
当然、紹介者はヤクザなので、詐欺や暴力的な紹介方法を
使用したことは容易に想像できます。

これって、あの強制?があるとかないとか
いっている例の問題にも共通するはなしなんでしょうね。。

以上のように、政府が職業安定所を使用するように
職業斡旋を管理するほうが、一定の秩序が保たれるいうのは
間違いないようです。

現在の派遣事業も、一種の職業紹介事業です。
本当に働く人の生活が守られて、
一定の秩序が保たれているのでしょうか。