人はどのようにして生業を見つけていたか
というはなしをします。
日本の明治から昭和にかけて、資本主義がおとずれと同時に
農村部に、私有財産制の導入と税負担増加(地租改正)などによって
自作農をしていた農民たちが小作農へ変化していったようです。
小作農の増加と並行して、小作争議が増加していきました。
争議の増加から推察すると、決して多くの農民が豊かな生活をしていたわけでない
ということがわかります。
昭和初期では工業化や小作農民の経済的困窮から、農民から
建設業やサービス業に労働者が多数流れていっているようです。
(出典 農林水産省 産業別労働力の動向 清水良平氏
http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/nosoken/nogyosogokenkyu/pdf/nriae1966-20-2-4.pdf)
それにしても、いままで農業をしていたひとたちが
どのように、職場を探していたのでしょうか。
戦中には、国家総動員体制下の職業紹介法によって「職業安定所」
今のハローワークが作られています。
現在も職業安定法によって引き継がれているわけですが、
旧職業安定法では
「何人モ, 有料デ又ハ営利ヲ目的トシテ
職業紹介事業ヲ行テハナラナイ」
とされていました。
戦中戦後は、職業安定所が職業紹介事業にを一手に行っていた
ということがわかります。
戦後は、労働者の生活の安定ということも
政府が一手に行う目的でもあったわけです。
現在の職業紹介事業は許可制となっています。
(職業安定法31条、33条など)
戦中より前は、いわゆる紹介者が行っていました。
その紹介というのはどうやら、ヤクザの商売だったようです。
(出典 なぜ職業紹介を国が行うのか 神林 龍教授
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2009/04/pdf/066-069.pdf)
農村で賭場を開いていたヤクザが職業紹介事業に進出したようです。
職業や人を紹介するという役割が、その人達の社会的な役割に
合致していたのか、そもそも政府や産業界がそれを利用したのかは
定かではありませんが。。
当然、紹介者はヤクザなので、詐欺や暴力的な紹介方法を
使用したことは容易に想像できます。
これって、あの強制?があるとかないとか
いっている例の問題にも共通するはなしなんでしょうね。。
以上のように、政府が職業安定所を使用するように
職業斡旋を管理するほうが、一定の秩序が保たれるいうのは
間違いないようです。
現在の派遣事業も、一種の職業紹介事業です。
本当に働く人の生活が守られて、
一定の秩序が保たれているのでしょうか。